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3:23戦艦武蔵3:27 97式中戦車あとD52ボイラーでかくてかっこいいですよね
海軍☆さん、ご視聴ありがとうございました。はいその二点は以前ご指摘いただいておりました。恐縮しております。
1:20「見よ、この勇姿」が見えない矛盾
ご視聴頂きありがとうございます。後ろの動画では米国の機関車が走っており、それをうまく隠すために見よ~を早出しにしました。見苦しかったようで申し訳ございません。
@@Yukkuri-Lab わざわざ返信いただきましてありがとうございますゆっくり動画のノリで揶揄するようなコメントになってしまいましたが、決してそんなつもりではないのでお許しください
頂いたコメント、私もまだゆっくりの掛け合いや、間合いのとりかたが下手なので、いろいろ改善すべき点を気づかせていただきました。ありがとうございます。
戦時設計の機関車としてはドイツでも高性能だけどコストのかからない機関車がありましたね確か52型だった気が運命を感じますね
ご視聴頂きありがとうございます。たしかに、52型ですね!今同じなのを気がつきました。ポーランドの特集で52型の保存機出てきます。是非ご視聴下さい。
D52って何だか力士っぽいんだよなぁ…だがそこが格好良い!
こちらもご視聴ありがとうございます。D52は前から見ない限り本当にマンモス機関車ですね。
初号機を浜松工場と鷹取工場のどちらが、製作するか競ってました。私は、DD51に引かれ廃車回送される姿を思い出しました。
堺さん、ご視聴頂きありがとうございます。初号機のその話ですが、直近のD52の動画に展開しています。戦時形も出てきますので是非ご覧ください。
C571なんて機銃掃射されちゃったからね。D52は旧東海道のきつい坂道登ったのだ、今の御殿場線。
colon 0311さん、ご視聴頂きありがとうございます。先の戦争では、国鉄も酷い目にあいました。でも多くの人に職を与え地域を活性化させていたのも国鉄でした。今は変わってしまいました。
D52 太いボイラーと前にせり出した煙室扉が力強い印象を与える逞しい機関車ですね C55 C57とは対照的な魅力に溢れていて好きな機関車です
まつかぜ82 さん、ご支援いただきましてありがとうございました。D52の原形の姿も紹介しておりますので、新しいD52特集も是非ご覧ください。私はこちらの形が好きです。
ダイハツってあのダメハツ?( ゚д゚)(゚д゚ )自動給炭ストーカー作ってたんだ、意外だわ
ご視聴頂きありがとうございます。当時は乗用車はやっていなかったのでしょう。
6:20 %→‰ですよね
ご指摘ありがとうございます。別の視聴者様からも同じご指摘ただいておりました。今後誤字・脱字には一層注意致しますので、よろしくお願いいたします。
小学生の時よく見ていたNHK[激動の記録」 ”日本ニュース” これは間違いなく戦時っすな 字幕の ”爆誕” って・・・かなりヤバイ香りがします(笑)。C62はみんなが認める人気者、ひきかえD52は戦時輸送力に全振りした暗い時代のアイコンでも優れた技術はやっぱり形を変えてよみがえるっすな。
緑地開発コキーナ さん、ご視聴いただきありがとうございます。新しいD52の動画もありますので、もっと戦時形が登場してますので是非ご覧ください。
D52はC59で一部車両に試験的に導入した燃焼室が好成績だったので本格導入された最初の機関車ですね。C59も燃焼室は戦後型とC59の1号機など戦前型にも一部ボイラー改修時に少数機導入されてます。なのでSL末期までなぜC59の1号機が残ってたのかはそういう訳があったのです。日本は路盤が脆弱で重量のある機関車を導入できずD52の活躍場所が限られたのはもったいなかったですね…
Mr. Yattsun さん、こちらもご視聴頂きありがとうございます。1号は燃焼室付きに交換されたんですよね。
@@Yukkuri-Lab 蒸気機関車のボイラーの寿命が20~40年なので1号機は良いタイミングで交換できた訳ですね。
貴重な資料ありかとうございました。活躍場が少なかったのはざんねですね😵もっと活躍して欲しかったですね。
ご視聴頂きありがとうございます。軸重が重いですから甲線となると電化に追われたイメージですね。でも瀬野八の大活躍は語り草ですし、C62のベースですから栄光の機関車だと思います。
いつも楽しく見ています。D52はC62の部品元かつ劣悪な戦時工作というイメージしかなかったのですが、戦後にも通じる設計の新機軸があったことを知り勉強になりました。戦時型にもなかなか実用的な格好良さがありますね。
何時もご覧になっていただいてありがとうございます。耐久寿命と必要な資材と生産工数を極限まで絞り込んだ戦時型の美しさとかコンセプトの正しさはD52の成果でしょう。仕様図面通りに製造できなかったのは戦火の中で工場サイドでやむを得ず不適切な製造が、おこなわれたためだと思っています。
機関車設計思想的にもスモールエンジンポリシー→ラージエンジンポリシーとある意味画期的でしたからね。
北海道はSLにとって最後の職場だったんだな
ご視聴頂き有難う御座います。そうなんですね。カロリーの高い高品質の炭鉱が近所の夕張が残ったのも、石炭と機関車の関係を示しているとおもおます。
山北に続き、御殿場でもコンプレッサー搭載でもいいので動かしてほしいですが・・ 相模原も程度は良かったな・・ 平塚はレストアされたって聞いたけど・・だいぶ前行った時には結構くたびれていたなあ・・ 沼津はがっかり
石井さん、ご視聴頂きありがとうございました。この動画今見ても面白いです。情報収集と絵に凝りすぎて本質を見失ってしまったか?反省しています。
吹田機関区の元機関士さん(故人)と仲良くして頂いていたのですが、東海道線では力の有る分D51より運転は楽だったと。但し上り貨物のハチロクの補機が、サボりがちであったとのことでした。城東貨物線では力をもてあまし気味で、助手の投炭が反って難しく直ぐ安全弁が吹く状態だったとか。
ご視聴頂きありがとうございます。面白い話を聞かせていただきありがとうございます。城東貨物船は万博の前に無くなったのですよね。なぜあそこにD52が残ったのかいまだに不思議です。また色々教えてください。
@@Yukkuri-Lab 様吹田に最後は2両残ったのですが、蛇草信号所に写真を撮りに行った前日に五稜郭へと転属に。今と違って、情報は後で知る状態でしたから。
そうですね。情報は後から知ることばかりで、特にお召し列車など私の情報網では全くダメでした。ガセネタも多くて、C62の回送が中央線を通るらしいと聞いて友人と半日粘ったことがあり、ひどい思いをしました。
D52、SLの中で一番好きな機関車です👍️
ご視聴頂きありがとうございます。軸重重く全国各地で見られたわけではないですが、貨物では一番頼りにされた機関車だと思います。戦時型、戦後型のどちらが好きでしょうか?
@@Yukkuri-Lab 私は、戦後型のタンクが上に付いたタイプがD型だな❗と思います😃正直、戦前 戦後タイプがあったとは知らなかったし、シリンダー上部より煙突がずれて付いているのも初めてしりました😅D52は最強マシン C62は最速マシンですね👍️D52カッコいいですね👍️
石炭庫の幅は、後方視界確保の為に水タンクより狭め。給水暖め機の位置は、戦後改修でD51の様に煙突前へ。いや、これは知らなかった。勉強になります。
ご視聴頂きありがとうございます。視聴者様に何らかの情報をインプットすることができてうれしいです。今回制作にあたって、如何に戦時型をアピールするかが一番悩んで手間かかりました。大東亜ニュースに出てくるD52のカットです。テンダーだけはどうしてもできなかったので、この道の大御所であられる鈴木英一様より写真をお借りした次第です。
出征前にD52を見せてもらった元機関士は、給水温め機が見当たらない事に気づき「冷水をそのままボイラーに送り込むのか?」と聞くと「資材節約のため、煙室下の排気膨張室が温め器を兼用している。つまり排気膨張室の中に給水温め器が納められているのと同じで心配ご無用」との回答があったとか
戦時形の給水温め機の場所なのですが、台枠にあるらしいのですが、具体的にどこにどんな形なのか調べられておりません。貴コメントのとおり本当に排気膨張室が兼用されていたのでしょうか?
@@Yukkuri-Lab 精密な設計図は私も知らないので発言の真相については分かりかねます。私の手持ちの本記載の当時の回想録を読み返しましたが、発言には間違いないようです。心配ご無用と言ったのは稲沢機関区の検査係です。補足すると給水温め器が無いけど給水ポンプがある事に気づいて質問した様です。
御殿場線は旧線だったから電化が後回しになっていてD52が多数在籍していて貨物列車を重連で牽引したり他の路線が災害で不通の時は特急や急行を代役で担当したりで晩年は結構幸せだった
ご視聴頂きありがとうございます。御殿場線のD52がそのような任に臨時でもあたったことがあることは、こちらの視聴者様からお聞きしました。以前陸羽東線がDL化直前に迂回でC58が大活躍したことがありましたね。
@@Yukkuri-Lab 函館本線のc62 32号機が一番好調で本務機(小樽〜函館間)運用に多用されて走行キロ数が伸びて検査期限切れになって廃車になったあとは一番機関士から評判が良かったのは2号機との名コンビ3号機で「安心して乗れるカマでした」とインタビューで答えてました
下りのニセコの前補機を長万部で待機しているC62-3号機を見たとき、なんて汚いC62だろうとがっかりしたことを覚えています。(2号機比で)動画の最後の絵でも前灯も煤けていますよね。それもあって私はちょっと3号機のイメージあまりよくなかったです。多分それもあって復活ニセコも結局一度も見に行きませんでした。後年3号機が調子よかった、2号機はダメだったという話が出回って、ならなんであんなに汚くしていたんだろうと不思議でしたね。
死重にコンクリートブロック、徐煙板には木材が使われていたD52形蒸気機関車。劣悪なことからボイラー破裂爆発事故が多発したため、整備不良車の大量廃車が行われて、状態の良いボイラーは、C62形に転用された。こうして、ボイラーはD52形走り装置は、C59形を組み合わせたC62形が誕生することになる。
@@Yukkuri-Lab ↑復活ニセコ乗ったオッサン(逆に、世代的に現役ニセコ間に合わなかった)😉
この機関車はスモールエンジンポリシー→ラージエンジンポリシーに設計思想が変化した日本でも珍しい機関車です。D52は基本設計への復元まではラージエンジンポリシーのメリットは活かしきれませんでしたが戦後ボイラーを流用したC62はラージエンジンポリシーのメリットをフル活用してます。又基本設計への復元開始時に従台車を2軸のものに改造されたD62は当初基本設計への復元と同時に全車D62へ改造される予定でしたが朝鮮戦争で鋳鋼製造大手住友金属が米軍向け戦車修理に多忙となり機関車改造どころでは無くなった為中止東海道本線全線電化後に盛岡へ軽軸重化の上転用されたものの、東海道本線時代は乗り心地が良くて好評で運転側からは全車改造を要望される位でした。ちなみに三河島事故の後には盛岡で持て余しているD62を水戸によこせ!三河島でいつも空転事故を起こし挙句あんなデカい事故起こしたD51はいらん!とまで言われ、実際検討もされましたが20両と言う少両数だった事で組合からの要望を却下替わりに田端操車場から三河島駅を通らず平坦線のまま直接隅田川貨物駅に行く小運転線建設といわき電化後もEF80の数が揃うまで水戸以南限定運用にする事で併せて完全無煙化を行う事で組合を納得させてます。
こちらもご視聴いただきまして有難うございます。なるほどD62の台数が少ない背景にはそのような事実があった訳ですね。D62はバランスが取れて本当に出来の良い機関車でしかも乗り心地が良いと伝えられているのは知っていました。軸重が15トンなのでD51が走れればD62でもいけるので田端機関区が欲しがったというのは分かりますが、東京に近いところだと線路が複雑で曲線多いので重い車体で線路への負担が大きすぎるような気もしま酢ので、妥当な判断ではなかったかなと思います。EF80の配備って遅れて常磐線はかなり蒸気に頼っていましたね。昔EF80とC62の重連を見たことがあります。
C62の登場ニュース映画はあるのですけどね😃当時は速度計もなく蒸気圧力計しかなかったとか…戦後、修繕されてようやく本領発揮と言えた機関車でしたね
ご視聴頂きありがとうございます。設計も極秘で行われていたそうです。それだけ戦略的に重要な機関車だったのでしょう。機関車は船舶、航空機と同じくらいの価値のある戦略物資でした。特攻兵器として蒸気機関車が計画されなかったのだけは幸いです。
デゴニは文句なしの非電化区間最強貨物機ですが、作られた時代が残念でした。もう少し早い時期ならもっと強力な機関車として活躍できたでしょうね。デゴニのボイラーを流用したシロクニはめちゃくちゃ速いですしね。
おそらく戦時下だったので、100の定数の線路に120突っ込む必要があったからできた機関車ではないでしょうか。でも空襲で転車台が破壊されたことまで想定してテンダーを計画するのを知って少々驚きました。かなり後まで吹田に原形が残っていたのを最近知りました。
@@Yukkuri-Lab 国鉄 jr貨物通じてD52はELを除いて最強機関車だと思います。
牽引力を取り上げればその通りですね。DF50なんかヘロヘロでしたよ。蒸気最後の頃唯一期待したイベントが特急富士のC61による牽引でした。DF50に負けるわけないのですが実現しませんでした。みんなきっとあると思っていました。20系はエアコン完備しているので別に煙の影響もないでしょうし。
@@Yukkuri-Lab DF50はエンジン音は独特で好きですが、当然C 61に勝てるわけありません。おっしゃる通りです。DF50はC57を淘汰するのに投入したようですが、乗務員さんの意見を聞いてみたいですね😀
特急富士をC61が一年でも牽引していたら、鉄道趣味の世界の歴史が変わっていましたね。
激動且つ過酷な時代に誕生し戦後の装備改造でやっと本来の力が発揮できた…五稜郭が最後の砦とは…榎本武揚と何か被るな!
ご視聴頂きありがとうございます。流星刀の榎本武揚が出てきてびっくりです。たしかに感傷的にはかぶりますね。D52が五稜郭で本来の力を出しつつ退役できたのはよかったですね。榎本武揚のように負けて投獄後に重用されたことはなかったですけど。梅小路で眠っているだけですね。
C62が誕生してからは、電気機関車で言うEF58とEF15の関係に近い気もします
ご視聴頂きありがとうございます。電気機関車は他の方々にお話しできるような知見を持っておりません。EF15はNSKのベアリングを初めて採用した機関車でしたね。
@@Yukkuri-Lab 基本的なメカニズム(蒸気の場合ボイラー周り、電機の場合抵抗器やモーターが共通)だけど車輪の数やサイズ(蒸気)、減速歯車の違いで旅客用と貨物用の住み分けが有ったと言う意味で書きました
あっ、そういうことですね。理解できました。EF58はお召機もありましたね。唯一私が電気機関車だけ目的に写真を撮りに行った機関車でした。デッキ付きの機関車はよく中央線や青梅線で見かけていて、ちょっと触手が出なかったです。でも中央線の旅客列車はSGが無いので、暖房車が付いていて蒸気に乗っている気分になれて好きでした。
走行中に戦闘機の襲撃に....、ボイラーから、湯が吹き出して危険な状態に決死の覚悟で難とかトンネルの中に....。(ある機関士の証言)
ご視聴頂きありがとうございます。戦闘機が機関車を襲うシーンは動画で昔見たことがあります。ボイラーを打たれたらひとたまりもないでしょう。機銃掃射対策もD52をはじめ機関車には予定されていたようですね。(模型ではありますね)
初めて実物を見た蒸気機関車は、御殿場市は当時湯沢平公園にて静態保存されていたD52 72号機でした。一部に木材を使用していた、ボイラーをはじめ資材も工作も拙速劣悪だったというのはよく知られていますが、燃焼室の実装や、ボイラーの設置箇所の見直し(煙突とシリンダー中心線との位置関係には全く気がついていませんでした)など、戦後に活きた設計上の工夫はほとんど知られていないのでは、と思います。むかし御殿場、山北、梅小路で見たものはもちろん、会ったことのないD52も見てみたいです。感謝!
ご視聴頂きありがとうございます。D52は形態上あまり可愛いものではないので、人気はないだろうと勝手に思っていましたが、この設計も代用素材の使い方も究極で、日本のものづくりの原点だったのかもしれないなと思うようになりました。英国のように機関車は美しくなければならないという観点を100%捨て去った究極のデザインですね。耐用年数3年というのも、3年経てば大東亜戦争も勝って、物資も豊富に入ってくると考えたのかもしれません。新橋駅前の戦時型のC11の選定には今もおかしいと思っていますが、D52に関して言えば、戦時中製造のスタイルをそのまま保存することは、様々な人々にいろいろなことを教えてくれると思うのですが。
@@Yukkuri-Lab さん D52の場合はまず存在を知ってもらわなければならない、数少ない現存機の保存状態を維持向上させなければならない、と産業遺産としての潜在的価値を生かすまでのハードルが高いな、と溜息が出そうです。ある意味、D52は今なお未完の名機なのかも知れません。ところで、C59の足回りにD52のボイラーと来れば…とか、英国最大最後の重貨物蒸機は…とか、伏線を複線で張ってませんか??(笑)今後もめっちゃ楽しみになってきました。
ご期待頂け本当にうれしいです!確かに伏線張らせていただいたり、小出しにしたりして視聴者様の反応を拝見することあります。蒸気を掘り下げていくと海外ネタになるのですが、皆さんあまり興味を示されないので、この辺をどうするかが課題です。
EF13で人は死んでいませんからね…。なにもD52が悪いんじゃないと思います。戦時設計にせざるを得なくなった時代に翻弄された可哀そうな機関車です。
ご視聴頂きありがとうございます。D52はその後の機関車だけでなく様々な設計の考えに大きな影響を与えた意味でも成功した重要な機関車だったと思います。どのような機関車も戦争でズダボロにされ、手抜き製造されていてD52だけではなくすべてに不幸な時代でした。
ボイラー破裂爆発事故が多発していた、戦後の国鉄。
@@大坂孝幸 当時の鉄道マンは本当に大変でしたでしょうね。
私の好きな旧国も受難の時代でした😭
@@psychedelicraspberry517 モハ63でしたっけ?桜木町事故がありますからね。悲しいことです。国電は何がお好きですか?私は流電ですね。
戦時体制貨物輸送強化機関車として、突貫工事で製作されたD52形。終戦後、ボイラー破裂爆発事故が多発したため、整備不良車欠陥車の大量廃車が行われて、468両製造予定であったが、最終的には、285両製造で中止となった。D52形のボイラーは、C62形に転用されたのは、言うまでも無く。
ご視聴頂きありがとうございます。戦時形で面白いのはごく一部吹田や山陽本線に残っていたことですね。デフとテンダーだけはさすがに鉄製にしていたようですが。私はこちらの形のほうが好きです。
惜しむらくはD51の戦時型にこの燃焼室付きボイラーを使わなかった事。これなら空転癖の根治にもなったのですが。
ご視聴ありがとうございます。C59も燃焼室付きにして煙管を短縮したのですから、D51でもできないことはなかったでしょう。おっしゃることはその通りですね。
D52と、ドイツの52型を比べるとやはり...、当時の日本とドイツでは、比べるべくもないです。
ご視聴いただきありがとうございます。まさに戦争経済で日・米・独・英それぞれ戦時設計の機関車を出してきました。それはそれで後年の機関車のコストダウン技術に大いに役立ったと思います。ドイツのは元のレベルが高いということなんですね。
概要欄の「大東亜戦争」はいらん論争を呼ぶから「太平洋戦争」の方がいいよ(動画冒頭は趣旨が違うので「大東亜戦争」でOK)😉
ご視聴頂きありがとうございます。ご意見も傾聴いたしました。いらない論争ほどつまらないものはないですから。
D52…生まれて初めて接したのが地元山陽本線を走るC62・D52・C59だったが故にD51・C57クラスが中型と思い込んでいた幼少時代(^^);ほぼ定数いっぱいの上下の貨物列車が擦れ違った後には本当に空が翳った感じだったのが遠い思い出(^^);柳井にいたカマは山陽本線全線電化後も少数生き残りしばらく区間貨物列車などを担当していました(おそらく電機の配備までの繋ぎ)。ところで…冒頭の動画。モノクロの構内風景は外国の機関車っぽいですね(^^);そしてD52140の木製デフはCG加工?デフは戦時型でもLightが後年のLP403のママですね。D52の木製テンダーには後方視界確保の意図があったとは初耳。成程其れで瀬野区にはこのテンダーのカマが遅くまで残った訳ですね(列車密度の高い山陽本線上を短距離とはいえバック運転=八本松・西条から瀬野或は広島までの返却回送は逆行運転)。戦時中から戦後すぐの頃には本来の力が発揮出来ず不遇を託ったとはいえ、装備改善で本来の力を出せるようになり戦後復興に一役買ったD52はやはり名機と呼べると愚考します。
ご覧になっていただきありがとうございます。すごい蒸気の大幹線をご覧になっていた経験がおありなのですね!うらやましい限りです。私は熱海より西に行ったことがあるのは昭和44年ですので、山陽路は遥か彼方です。冒頭の大東亜ニュースのD52は五稜郭の写真をつたないCG加工したものです。前灯も修正すべきだったですが、時間切れで。映画は米国のライセンス切れのフリードキュメンタリーの加工です。なお、瀬野八のD52は旧テンダーのほかに自動給炭機も装備していない機関車もあったそうです。
字幕の端っこが見切れていますな一応、日本でも1Eのデカポッド機を9600形の後継に据えようとしていたそうなしかし、デカポッドは構造上火室を台枠の上に乗せなくてはならず、重心が高くなってしまうことだったそこで火室を従輪の上に乗せたミカド形となったそうですD52形は動輪周出力が1660馬力で、1200t貨物の牽引を可能としていたので、現在の貨物列車の基準となっているようです戦時型の炭水車を持つD52形は後進回送をしやすいという理由からか、晩年はセノハチの補機運用に従事していたそうです
いつもご視聴頂きありがとうございます。貴重なコメントもありがとうございます。先ほど大東亜ニュースのテロップがそのままになっていることを知りました。本来はニュース字幕は消すはずでした。お見苦しくて申し訳ございません。今回なぜミカドと呼ぶかから始めたのですが15分ぐらいになりそうなので、ここは端折りました。9700をボールドウィンに発注したとき彼らが名付けたのですね。戦時形の炭水車ですが、小生見たことがありませんでした。D51でも良いので残っていてくれればと思っています。動画の写真にもありますが、国府津機関区に残っていたのは驚きでした。
@@Yukkuri-Lab 元々向こうが天皇にちなんでミカドと名付けたのですが、戦時中は敵の盟主で呼ぶわけにもいかず、マッカーサーと呼んでいたそうです戦時型はしっかりマイクロエースが模型化してましたので、動画作成のモデルにしています
今回の動画で138号と140号を戦時形にするにあたりマイクロエースの模型も参考にしました。
マリさ怖い
ご視聴頂きありがとうございます。怖がらせてごめんなさい。次回はちょっと親しみやすくしたいと思います。
日本ニュースのオープニングそのままがつぼった(笑)
ご視聴ありがとうございます。ゆっくりでやっていると変化つけないと収益化がすぐ剥がされてしまうので、毎回ビクビクしてます。
まばたきクソ多くて草
ご視聴頂きありがとうございます。次回登場させるときはもう少し自然にしますね。ご指摘いただき感謝いたします。
3:23戦艦武蔵
3:27 97式中戦車
あと
D52ボイラーでかくて
かっこいいですよね
海軍☆さん、ご視聴ありがとうございました。はいその二点は以前ご指摘いただいておりました。恐縮しております。
1:20「見よ、この勇姿」が見えない矛盾
ご視聴頂きありがとうございます。後ろの動画では米国の機関車が走っており、それをうまく隠すために見よ~を早出しにしました。見苦しかったようで申し訳ございません。
@@Yukkuri-Lab わざわざ返信いただきましてありがとうございます
ゆっくり動画のノリで揶揄するようなコメントになってしまいましたが、決してそんなつもりではないのでお許しください
頂いたコメント、私もまだゆっくりの掛け合いや、間合いのとりかたが下手なので、いろいろ改善すべき点を気づかせていただきました。ありがとうございます。
戦時設計の機関車としてはドイツでも高性能だけどコストのかからない機関車がありましたね
確か52型だった気が
運命を感じますね
ご視聴頂きありがとうございます。
たしかに、52型ですね!今同じなのを気がつきました。ポーランドの特集で52型の保存機出てきます。是非ご視聴下さい。
D52って何だか力士っぽいんだよなぁ…だがそこが格好良い!
こちらもご視聴ありがとうございます。D52は前から見ない限り本当にマンモス機関車ですね。
初号機を浜松工場と鷹取工場のどちらが、製作するか競ってました。私は、DD51に引かれ廃車回送される姿を思い出しました。
堺さん、ご視聴頂きありがとうございます。
初号機のその話ですが、直近のD52の動画に展開しています。戦時形も出てきますので是非ご覧ください。
C571なんて機銃掃射されちゃったからね。D52は旧東海道のきつい坂道登ったのだ、今の御殿場線。
colon 0311さん、ご視聴頂きありがとうございます。
先の戦争では、国鉄も酷い目にあいました。でも多くの人に職を与え地域を活性化させていたのも国鉄でした。今は変わってしまいました。
D52 太いボイラーと前にせり出した煙室扉が力強い印象を与える逞しい機関車ですね C55 C57とは対照的な魅力に溢れていて好きな機関車です
まつかぜ82 さん、ご支援いただきましてありがとうございました。D52の原形の姿も紹介しておりますので、新しいD52特集も是非ご覧ください。私はこちらの形が好きです。
ダイハツってあのダメハツ?( ゚д゚)(゚д゚ )自動給炭ストーカー作ってたんだ、意外だわ
ご視聴頂きありがとうございます。
当時は乗用車はやっていなかったのでしょう。
6:20 %→‰ですよね
ご指摘ありがとうございます。別の視聴者様からも同じご指摘ただいておりました。今後誤字・脱字には一層注意致しますので、よろしくお願いいたします。
小学生の時よく見ていたNHK[激動の記録」 ”日本ニュース” これは間違いなく戦時っすな
字幕の ”爆誕” って・・・かなりヤバイ香りがします(笑)。
C62はみんなが認める人気者、ひきかえD52は戦時輸送力に全振りした暗い時代のアイコン
でも優れた技術はやっぱり形を変えてよみがえるっすな。
緑地開発コキーナ さん、ご視聴いただきありがとうございます。
新しいD52の動画もありますので、もっと戦時形が登場してますので是非ご覧ください。
D52はC59で一部車両に試験的に導入した燃焼室が好成績だったので本格導入された最初の機関車ですね。
C59も燃焼室は戦後型とC59の1号機など戦前型にも一部ボイラー改修時に少数機導入されてます。なのでSL末期までなぜC59の1号機が残ってたのかはそういう訳があったのです。
日本は路盤が脆弱で重量のある機関車を導入できずD52の活躍場所が限られたのはもったいなかったですね…
Mr. Yattsun さん、こちらもご視聴頂きありがとうございます。1号は燃焼室付きに交換されたんですよね。
@@Yukkuri-Lab
蒸気機関車のボイラーの寿命が20~40年なので1号機は良いタイミングで交換できた訳ですね。
貴重な資料ありかとうございました。活躍場が少なかったのはざんねですね😵もっと活躍して欲しかったですね。
ご視聴頂きありがとうございます。軸重が重いですから甲線となると電化に追われたイメージですね。でも瀬野八の大活躍は語り草ですし、C62のベースですから栄光の機関車だと思います。
いつも楽しく見ています。D52はC62の部品元かつ劣悪な戦時工作というイメージしかなかったのですが、戦後にも通じる設計の新機軸があったことを知り勉強になりました。戦時型にもなかなか実用的な格好良さがありますね。
何時もご覧になっていただいてありがとうございます。耐久寿命と必要な資材と生産工数を極限まで絞り込んだ戦時型の美しさとかコンセプトの正しさはD52の成果でしょう。仕様図面通りに製造できなかったのは戦火の中で工場サイドでやむを得ず不適切な製造が、おこなわれたためだと思っています。
機関車設計思想的にも
スモールエンジンポリシー→ラージエンジンポリシー
とある意味画期的でしたからね。
北海道はSLにとって最後の職場だったんだな
ご視聴頂き有難う御座います。
そうなんですね。カロリーの高い高品質の炭鉱が近所の夕張が残ったのも、石炭と機関車の関係を示しているとおもおます。
山北に続き、御殿場でもコンプレッサー搭載でもいいので動かしてほしいですが・・ 相模原も程度は良かったな・・ 平塚はレストアされたって聞いたけど・・だいぶ前行った時には結構くたびれていたなあ・・ 沼津はがっかり
石井さん、ご視聴頂きありがとうございました。この動画今見ても面白いです。
情報収集と絵に凝りすぎて本質を見失ってしまったか?反省しています。
吹田機関区の元機関士さん(故人)と仲良くして頂いていたのですが、東海道線では力の有る分D51より運転は楽だったと。
但し上り貨物のハチロクの補機が、サボりがちであったとのことでした。
城東貨物線では力をもてあまし気味で、助手の投炭が反って難しく直ぐ安全弁が吹く状態だったとか。
ご視聴頂きありがとうございます。面白い話を聞かせていただきありがとうございます。
城東貨物船は万博の前に無くなったのですよね。なぜあそこにD52が残ったのかいまだに不思議です。また色々教えてください。
@@Yukkuri-Lab 様
吹田に最後は2両残ったのですが、蛇草信号所に写真を撮りに行った前日に五稜郭へと転属に。
今と違って、情報は後で知る状態でしたから。
そうですね。情報は後から知ることばかりで、特にお召し列車など私の情報網では全くダメでした。ガセネタも多くて、C62の回送が中央線を通るらしいと聞いて友人と半日粘ったことがあり、ひどい思いをしました。
D52、SLの中で一番好きな機関車です👍️
ご視聴頂きありがとうございます。軸重重く全国各地で見られたわけではないですが、貨物では一番頼りにされた機関車だと思います。
戦時型、戦後型のどちらが好きでしょうか?
@@Yukkuri-Lab 私は、戦後型のタンクが上に付いたタイプがD型だな❗と思います😃正直、戦前 戦後タイプがあったとは知らなかったし、シリンダー上部より煙突がずれて付いているのも初めてしりました😅
D52は最強マシン C62は最速マシンですね👍️
D52カッコいいですね👍️
石炭庫の幅は、後方視界確保の為に水タンクより狭め。
給水暖め機の位置は、戦後改修でD51の様に煙突前へ。
いや、これは知らなかった。勉強になります。
ご視聴頂きありがとうございます。視聴者様に何らかの情報をインプットすることができてうれしいです。今回制作にあたって、如何に戦時型をアピールするかが一番悩んで手間かかりました。大東亜ニュースに出てくるD52のカットです。テンダーだけはどうしてもできなかったので、この道の大御所であられる鈴木英一様より写真をお借りした次第です。
出征前にD52を見せてもらった元機関士は、給水温め機が見当たらない事に気づき
「冷水をそのままボイラーに送り込むのか?」と聞くと
「資材節約のため、煙室下の排気膨張室が温め器を兼用している。つまり排気膨張室の中に給水温め器が納められているのと同じで心配ご無用」との回答があったとか
戦時形の給水温め機の場所なのですが、台枠にあるらしいのですが、具体的にどこにどんな形なのか調べられておりません。貴コメントのとおり本当に排気膨張室が兼用されていたのでしょうか?
@@Yukkuri-Lab
精密な設計図は私も知らないので発言の真相については分かりかねます。
私の手持ちの本記載の当時の回想録を読み返しましたが、発言には間違いないようです。心配ご無用と言ったのは稲沢機関区の検査係です。
補足すると給水温め器が無いけど給水ポンプがある事に気づいて質問した様です。
御殿場線は旧線だったから電化が後回しになっていてD52が多数在籍していて貨物列車を重連で牽引したり他の路線が災害で不通の時は特急や急行を代役で担当したりで晩年は結構幸せだった
ご視聴頂きありがとうございます。御殿場線のD52がそのような任に臨時でもあたったことがあることは、こちらの視聴者様からお聞きしました。以前陸羽東線がDL化直前に迂回でC58が大活躍したことがありましたね。
@@Yukkuri-Lab 函館本線のc62 32号機が一番好調で本務機(小樽〜函館間)運用に多用されて走行キロ数が伸びて検査期限切れになって廃車になったあとは一番機関士から評判が良かったのは2号機との名コンビ3号機で「安心して乗れるカマでした」とインタビューで答えてました
下りのニセコの前補機を長万部で待機しているC62-3号機を見たとき、なんて汚いC62だろうとがっかりしたことを覚えています。(2号機比で)動画の最後の絵でも前灯も煤けていますよね。それもあって私はちょっと3号機のイメージあまりよくなかったです。多分それもあって復活ニセコも結局一度も見に行きませんでした。後年3号機が調子よかった、2号機はダメだったという話が出回って、ならなんであんなに汚くしていたんだろうと不思議でしたね。
死重にコンクリートブロック、徐煙板には木材が使われていたD52形蒸気機関車。劣悪なことからボイラー破裂爆発事故が多発したため、整備不良車の大量廃車が行われて、状態の良いボイラーは、C62形に転用された。
こうして、ボイラーはD52形走り装置は、C59形を組み合わせたC62形が誕生することになる。
@@Yukkuri-Lab ↑復活ニセコ乗ったオッサン(逆に、世代的に現役ニセコ間に合わなかった)😉
この機関車は
スモールエンジンポリシー→ラージエンジンポリシーに設計思想が変化した
日本でも珍しい機関車です。
D52は基本設計への復元まではラージエンジンポリシーのメリットは活かしきれませんでしたが
戦後ボイラーを流用したC62はラージエンジンポリシーのメリットをフル活用してます。
又基本設計への復元開始時に従台車を2軸のものに改造されたD62は当初基本設計への復元と同時に全車D62へ改造される予定でしたが
朝鮮戦争で鋳鋼製造大手住友金属が米軍向け戦車修理に多忙となり機関車改造どころでは無くなった為中止
東海道本線全線電化後に盛岡へ軽軸重化の上転用されたものの、東海道本線時代は乗り心地が良くて好評で運転側からは全車改造を要望される位でした。
ちなみに三河島事故の後には
盛岡で持て余しているD62を水戸によこせ!三河島でいつも空転事故を起こし挙句あんなデカい事故起こしたD51はいらん!
とまで言われ、実際検討もされましたが
20両
と言う少両数だった事で組合からの要望を却下
替わりに田端操車場から三河島駅を通らず平坦線のまま直接隅田川貨物駅に行く小運転線建設といわき電化後もEF80の数が揃うまで水戸以南限定運用にする事で併せて完全無煙化を行う
事で組合を納得させてます。
こちらもご視聴いただきまして有難うございます。なるほどD62の台数が少ない背景にはそのような事実があった訳ですね。D62はバランスが取れて本当に出来の良い機関車でしかも乗り心地が良いと伝えられているのは知っていました。軸重が15トンなのでD51が走れればD62でもいけるので田端機関区が欲しがったというのは分かりますが、東京に近いところだと線路が複雑で曲線多いので重い車体で線路への負担が大きすぎるような気もしま酢ので、妥当な判断ではなかったかなと思います。EF80の配備って遅れて常磐線はかなり蒸気に頼っていましたね。昔EF80とC62の重連を見たことがあります。
C62の登場ニュース映画はあるのですけどね😃
当時は速度計もなく蒸気圧力計しかなかったとか…
戦後、修繕されてようやく本領発揮と言えた機関車でしたね
ご視聴頂きありがとうございます。設計も極秘で行われていたそうです。それだけ戦略的に重要な機関車だったのでしょう。機関車は船舶、航空機と同じくらいの価値のある戦略物資でした。特攻兵器として蒸気機関車が計画されなかったのだけは幸いです。
デゴニは文句なしの非電化区間最強貨物機ですが、作られた時代が残念でした。もう少し早い時期ならもっと強力な機関車として活躍できたでしょうね。デゴニのボイラーを流用したシロクニはめちゃくちゃ速いですしね。
おそらく戦時下だったので、100の定数の線路に120突っ込む必要があったからできた機関車ではないでしょうか。でも空襲で転車台が破壊されたことまで想定してテンダーを計画するのを知って少々驚きました。
かなり後まで吹田に原形が残っていたのを最近知りました。
@@Yukkuri-Lab 国鉄 jr貨物通じてD52はELを除いて最強機関車だと思います。
牽引力を取り上げればその通りですね。DF50なんかヘロヘロでしたよ。蒸気最後の頃唯一期待したイベントが特急富士のC61による牽引でした。DF50に負けるわけないのですが実現しませんでした。みんなきっとあると思っていました。20系はエアコン完備しているので別に煙の影響もないでしょうし。
@@Yukkuri-Lab DF50はエンジン音は独特で好きですが、当然C 61に勝てるわけありません。おっしゃる通りです。DF50はC57を淘汰するのに投入したようですが、乗務員さんの意見を聞いてみたいですね😀
特急富士をC61が一年でも牽引していたら、鉄道趣味の世界の歴史が変わっていましたね。
激動且つ過酷な時代に誕生し
戦後の装備改造でやっと
本来の力が発揮できた…
五稜郭が最後の砦とは…
榎本武揚と何か被るな!
ご視聴頂きありがとうございます。
流星刀の榎本武揚が出てきてびっくりです。たしかに感傷的にはかぶりますね。
D52が五稜郭で本来の力を出しつつ退役できたのはよかったですね。榎本武揚のように負けて投獄後に重用されたことはなかったですけど。梅小路で眠っているだけですね。
C62が誕生してからは、電気機関車で言うEF58とEF15の関係に近い気もします
ご視聴頂きありがとうございます。電気機関車は他の方々にお話しできるような知見を持っておりません。EF15はNSKのベアリングを初めて採用した機関車でしたね。
@@Yukkuri-Lab
基本的なメカニズム(蒸気の場合ボイラー周り、電機の場合抵抗器やモーターが共通)だけど車輪の数やサイズ(蒸気)、減速歯車の違いで旅客用と貨物用の住み分けが有ったと言う意味で書きました
あっ、そういうことですね。理解できました。EF58はお召機もありましたね。唯一私が電気機関車だけ目的に写真を撮りに行った機関車でした。デッキ付きの機関車はよく中央線や青梅線で見かけていて、ちょっと触手が出なかったです。でも中央線の旅客列車はSGが無いので、暖房車が付いていて蒸気に乗っている気分になれて好きでした。
走行中に戦闘機の襲撃に....、ボイラーから、湯が吹き出して危険な状態に決死の覚悟で難とかトンネルの中に....。
(ある機関士の証言)
ご視聴頂きありがとうございます。戦闘機が機関車を襲うシーンは動画で昔見たことがあります。ボイラーを打たれたらひとたまりもないでしょう。機銃掃射対策もD52をはじめ機関車には予定されていたようですね。(模型ではありますね)
初めて実物を見た蒸気機関車は、御殿場市は当時湯沢平公園にて静態保存されていたD52 72号機でした。
一部に木材を使用していた、ボイラーをはじめ資材も工作も拙速劣悪だったというのはよく知られていますが、燃焼室の実装や、ボイラーの設置箇所の見直し(煙突とシリンダー中心線との位置関係には全く気がついていませんでした)など、戦後に活きた設計上の工夫はほとんど知られていないのでは、と思います。
むかし御殿場、山北、梅小路で見たものはもちろん、会ったことのないD52も見てみたいです。感謝!
ご視聴頂きありがとうございます。D52は形態上あまり可愛いものではないので、人気はないだろうと勝手に思っていましたが、この設計も代用素材の使い方も究極で、日本のものづくりの原点だったのかもしれないなと思うようになりました。
英国のように機関車は美しくなければならないという観点を100%捨て去った究極のデザインですね。耐用年数3年というのも、3年経てば大東亜戦争も勝って、物資も豊富に入ってくると考えたのかもしれません。
新橋駅前の戦時型のC11の選定には今もおかしいと思っていますが、D52に関して言えば、戦時中製造のスタイルをそのまま保存することは、様々な人々にいろいろなことを教えてくれると思うのですが。
@@Yukkuri-Lab さん D52の場合はまず存在を知ってもらわなければならない、数少ない現存機の保存状態を維持向上させなければならない、と産業遺産としての潜在的価値を生かすまでのハードルが高いな、と溜息が出そうです。ある意味、D52は今なお未完の名機なのかも知れません。
ところで、C59の足回りにD52のボイラーと来れば…とか、英国最大最後の重貨物蒸機は…とか、伏線を複線で張ってませんか??(笑)今後もめっちゃ楽しみになってきました。
ご期待頂け本当にうれしいです!確かに伏線張らせていただいたり、小出しにしたりして視聴者様の反応を拝見することあります。蒸気を掘り下げていくと海外ネタになるのですが、皆さんあまり興味を示されないので、この辺をどうするかが課題です。
EF13で人は死んでいませんからね…。なにもD52が悪いんじゃないと思います。戦時設計にせざるを得なくなった時代に翻弄された可哀そうな機関車です。
ご視聴頂きありがとうございます。D52はその後の機関車だけでなく様々な設計の考えに大きな影響を与えた意味でも成功した重要な機関車だったと思います。どのような機関車も戦争でズダボロにされ、手抜き製造されていてD52だけではなくすべてに不幸な時代でした。
ボイラー破裂爆発事故が多発していた、戦後の国鉄。
@@大坂孝幸 当時の鉄道マンは本当に大変でしたでしょうね。
私の好きな旧国も受難の時代でした😭
@@psychedelicraspberry517 モハ63でしたっけ?桜木町事故がありますからね。悲しいことです。国電は何がお好きですか?私は流電ですね。
戦時体制貨物輸送強化機関車として、突貫工事で製作されたD52形。
終戦後、ボイラー破裂爆発事故が多発したため、整備不良車欠陥車の大量廃車が行われて、468両製造予定であったが、最終的には、285両製造で中止となった。
D52形のボイラーは、C62形に転用されたのは、言うまでも無く。
ご視聴頂きありがとうございます。戦時形で面白いのはごく一部吹田や山陽本線に残っていたことですね。デフとテンダーだけはさすがに鉄製にしていたようですが。私はこちらの形のほうが好きです。
惜しむらくは
D51の戦時型にこの燃焼室付きボイラーを使わなかった事。
これなら空転癖の根治にもなったのですが。
ご視聴ありがとうございます。C59も燃焼室付きにして煙管を短縮したのですから、D51でもできないことはなかったでしょう。おっしゃることはその通りですね。
D52と、ドイツの52型を比べるとやはり...、当時の日本とドイツでは、比べるべくもないです。
ご視聴いただきありがとうございます。まさに戦争経済で日・米・独・英それぞれ戦時設計の機関車を出してきました。
それはそれで後年の機関車のコストダウン技術に大いに役立ったと思います。ドイツのは元のレベルが高いということなんですね。
概要欄の「大東亜戦争」はいらん論争を呼ぶから「太平洋戦争」の方がいいよ(動画冒頭は趣旨が違うので「大東亜戦争」でOK)😉
ご視聴頂きありがとうございます。ご意見も傾聴いたしました。いらない論争ほどつまらないものはないですから。
D52…生まれて初めて接したのが地元山陽本線を走るC62・D52・C59だったが故にD51・C57クラスが中型と思い込んでいた幼少時代(^^);ほぼ定数いっぱいの上下の貨物列車が擦れ違った後には本当に空が翳った感じだったのが遠い思い出(^^);柳井にいたカマは山陽本線全線電化後も少数生き残りしばらく区間貨物列車などを担当していました(おそらく電機の配備までの繋ぎ)。
ところで…冒頭の動画。モノクロの構内風景は外国の機関車っぽいですね(^^);そしてD52140の木製デフはCG加工?デフは戦時型でもLightが後年のLP403のママですね。
D52の木製テンダーには後方視界確保の意図があったとは初耳。成程其れで瀬野区にはこのテンダーのカマが遅くまで残った訳ですね(列車密度の高い山陽本線上を短距離とはいえバック運転=八本松・西条から瀬野或は広島までの返却回送は逆行運転)。
戦時中から戦後すぐの頃には本来の力が発揮出来ず不遇を託ったとはいえ、装備改善で本来の力を出せるようになり戦後復興に一役買ったD52はやはり名機と呼べると愚考します。
ご覧になっていただきありがとうございます。すごい蒸気の大幹線をご覧になっていた経験がおありなのですね!うらやましい限りです。私は熱海より西に行ったことがあるのは昭和44年ですので、山陽路は遥か彼方です。
冒頭の大東亜ニュースのD52は五稜郭の写真をつたないCG加工したものです。前灯も修正すべきだったですが、時間切れで。映画は米国のライセンス切れのフリードキュメンタリーの加工です。
なお、瀬野八のD52は旧テンダーのほかに自動給炭機も装備していない機関車もあったそうです。
字幕の端っこが見切れていますな
一応、日本でも1Eのデカポッド機を9600形の後継に据えようとしていたそうな
しかし、デカポッドは構造上火室を台枠の上に乗せなくてはならず、重心が高くなってしまうことだった
そこで火室を従輪の上に乗せたミカド形となったそうです
D52形は動輪周出力が1660馬力で、1200t貨物の牽引を可能としていたので、現在の貨物列車の基準となっているようです
戦時型の炭水車を持つD52形は後進回送をしやすいという理由からか、晩年はセノハチの補機運用に従事していたそうです
いつもご視聴頂きありがとうございます。貴重なコメントもありがとうございます。
先ほど大東亜ニュースのテロップがそのままになっていることを知りました。本来はニュース字幕は消すはずでした。お見苦しくて申し訳ございません。
今回なぜミカドと呼ぶかから始めたのですが15分ぐらいになりそうなので、ここは端折りました。9700をボールドウィンに発注したとき彼らが名付けたのですね。
戦時形の炭水車ですが、小生見たことがありませんでした。D51でも良いので残っていてくれればと思っています。動画の写真にもありますが、国府津機関区に残っていたのは驚きでした。
@@Yukkuri-Lab 元々向こうが天皇にちなんでミカドと名付けたのですが、戦時中は敵の盟主で呼ぶわけにもいかず、マッカーサーと呼んでいたそうです
戦時型はしっかりマイクロエースが模型化してましたので、動画作成のモデルにしています
今回の動画で138号と140号を戦時形にするにあたりマイクロエースの模型も参考にしました。
マリさ怖い
ご視聴頂きありがとうございます。怖がらせてごめんなさい。
次回はちょっと親しみやすくしたいと思います。
日本ニュースのオープニングそのままがつぼった(笑)
ご視聴ありがとうございます。ゆっくりでやっていると変化つけないと収益化がすぐ剥がされてしまうので、
毎回ビクビクしてます。
まばたきクソ多くて草
ご視聴頂きありがとうございます。次回登場させるときはもう少し自然にしますね。ご指摘いただき感謝いたします。